Harada

#008 原田麻以さん

3. 思考が構造をつくる

― 福島に入られた後のことを伺いたいのですが、震災後のまちの状況を見てどんなことを感じましたか。

原田:震災直後の時期は、あちこちでけんかが起きていた印象があります。感じ方、考え方の違いが明るみが出て、これまでのようになあなあでは済ませられない。みんなで語り合ってどうしていくかを考えないといけないのに、そうすることができなくて、さまざまなレベルでの分断が起こっていたのではないかと思います。震災後はじめての福島に滞在した際に、川俣町役場主催で行われた放医研(放射線医学総合研修所)の講演に参加したのですが、その話は、放射能の影響はないことを伝えるためのものでした。そういった講演が驚くほど早く、福島県内各地で行われていたことも印象に残っています。

― 福島の観光広告や行政主導のイベントなどを見ていると、以前の福島に早く戻ろうとする力が強く働いているように思います。未だ高線量な地域を子どもたちがパレードするイベントが行われていたり…。原田さんは、そうしたことに対してどんなことを感じていましたか。

原田:そういう取り組みは福島で山のように見聞きして、最初は毎回気持ちを揺さぶられていました。元に戻ろうとする力が強くて、その上、情報も一方的ですし、そういう状況を目の当たりにしては、落ち込みましたね。
危ないかもしれないと内心は思っているけれど、経済がだめになると地域がだめになるから福島は元気だという状況を見せていかないといけないと思っている人もいるでしょうし、本当に放射能は大丈夫だと思っている人もいると思います。放射能というわからないものの影響について誰も完全に答えることができないので、立場によっていろんな考えの人が出てくるんだと思います。
私も出会いがなかったら、同じだったと思うんです。「明日食べられなかったらどうするの?」「うちの子がいい学校に入れなかったらどうするの?」「経済が下火になったらどうするの?」って、考えていたと思うんですよね。思考が、構造をつくっている部分があると思うから、もし変化が起きるとするならば、一人ひとりの思考回路が変わっていくことからだと思うんです。

運動団体にも意味があると思うし、いろんな活動が動いているほうがいいと思います。でも、福島のまちを歩いている普通の市民の声、ちいさな声がかき消されてしまう状況があると思うし、そのことには違和感を持っています。道ですれちがっているだけだとわからないんですけど、出会って話を聞くとそれぞれに不安を抱えて一生懸命考えている。当たり前のことですが、一人ひとりに人生があり、過去があり未来がある。特に放射能や原発の問題に関わっているとその途方もなさとわからなさに自分が世界に一人取り残されているような感覚になることがあります。そんな困難な道のりをなんとか生きるために、「あなたに、あしたもげんきでいてほしい」と伝える。私が希望を感じられるのは、そういう一人との関係性、一人との出会いでした。そして、問題が「個人のもの」に回収されないように「社会化」することをあきらめないように心がけています。

Profile

原田 麻以(はらだ まい) 1985 年東京生まれ。大阪西成にある NPO法人こえとことばとこころの部屋スタッフとしてカマン!メディアセンターの立ち上げ、運営を行う。震災後東北にてココルームひとり出張所としてささやかに活動。共著「釜ヶ崎のススメ」洛北出版、「福島と生きる」新評論など。